スカイゲートテクノロジズ株式会社は、「存続可能性に関する課題をテクノロジーで解決する」ことを掲げる、日本で唯一の防衛・セキュリティ領域のスタートアップです。社会の安定と安心を支えるため、最先端技術を駆使しながら新しい価値を創り出しています。今回は、代表取締役社長の粟津昂規さんに、大学時代の起業から自衛隊での経験を経て、スカイゲートテクノロジズを立ち上げるに至った経緯を伺いました。

大学入学と同時に起業を決断した2つの動機

粟津さんが初めて起業に挑んだのは、大学に入学したばかりの頃でした。手掛けたのは、防衛とは関わりのないライブストリーミング配信のスタートアップです。入学と同時に事業を始めようと決めた背景には、2つの動機がありました。

第一に、当時メディアで盛んに取り上げられていた堀江貴文さんをはじめとするIT起業家たちの姿に刺激を受け、テクノロジーを活用したビジネスに大きな可能性を感じていたことです。第二に、就職活動をする大学の先輩たちを見て、商社や広告代理店といった進路に夢を描けなかったことです。

岩手県北上市出身の粟津さんにとって、それらの業界は身近な存在ではなく、具体的な働き方のイメージを持つことができませんでした。だからこそ、自分で事業を立ち上げれば、自ら思い描く理想の働き方に近づけると考えたのです。

こうして、粟津さんは幼少期から親しんできたコンピューターのスキルを活かしたインターネットビジネスを構想し、広告収益を軸にしたイベント動画配信事業を始めました。しかし、ビジネスが軌道に乗り始めた矢先、東日本大震災がすべてを一変させました。

東日本大震災で味わった、IT技術の「無力感」

2011年に発生した東日本大震災の影響で、多くの企業が広告を自粛し、テレビやインターネットへの広告出稿が激減しました。粟津さんの会社も仕事がなくなり、時間に余裕が生まれたため、粟津さんは宮城県牡鹿郡女川町へボランティアとして赴きました。

津波で壊滅的な被害を受けた現場では、これまで自分たちが手掛けてきた映像配信の技術が全く役に立たず、無力さを痛感しました。IT技術に夢を託し、テクノロジーが社会を豊かにすると信じてきた価値観が根底から揺さぶられる経験は、粟津さんにとって大きな衝撃となりました。

その一方で、同じ地域で活動していた自衛隊の隊員たちは、インターネットも電気も水もない状況下で、迅速かつ組織的に救援活動を展開しました。しかも日々改善を重ね、時間の経過とともにオペレーションの精度を高めていく姿を、粟津さんは目の当たりにしました。

この体験を通じて粟津さんは、「なぜテクノロジーは被災地で役に立たなかったのか」「なぜ自衛隊は電気や水道がない状況下で力を発揮できたのか」と疑問を抱きました。そして答えを探すために自衛隊の地方協力本部へ連絡を取ったことが縁で、自衛官幹部候補生試験に応募して合格しました。当時の自社の経営メンバーからも背中を押されて、粟津さんは自衛隊への入隊を決意しました。

自衛隊では、通信やサイバーセキュリティの業務に従事しました。さまざまな任務に携わるなかで、専守防衛を主目的とする日本の自衛隊と、自国の安全と発展のためにあらゆる手を尽くす米軍との間にある「社会的影響力の差」に気づきました。その気づきが、スカイゲートテクノロジズ創業へとつながる原点になりました。

まだ存在しない世界のドアを開けていく

粟津さんは、新しい技術は単独では社会に浸透しにくいものの、政府の支援が加われば一気に普及し、社会を大きく変革できる点に魅力を感じました。そして、自らも社会に強いインパクトを与えたいという思いをさらに強めていきます。

そのため改めて起業を志し、自衛隊を退官しました。テクノロジーが社会を変革するプロセスを体感したいとの思いからフィンテック企業のフリー株式会社に参画します。そこで得た知見をもとに、防衛とテクノロジーの力で社会課題を解決することを目指し、2020年にスカイゲートテクノロジズを創業しました。

スカイゲートテクノロジズは、政府の防衛課題解決を支援する防衛関連事業と、民間企業のセキュリティ課題を解決するセキュリティ事業の2軸で事業を展開しています。一見すると両事業は関連性が薄いように見えますが、いずれも「存続可能性に関する課題を解決する」というミッションに結びついており、未知の脅威を発見するという共通の目的に基づいています。

社名には、「青空に扉を開ける」という意味が込められています。テクノロジーを駆使して、まだ存在しない世界のドアを開けていきたいという、粟津さんの願いを表しています。

(後編へ続く)

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